興味
同潤会の試みを学びに。。。
竹中工務店さんの
ギャラリーA4へ。
同潤会にまつわる展示や映像を拝見し、
お話をお聴きしました。
なぜ、私たちは、同潤会を越えられないのか。。。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
講演メモ
【講演】
■「同潤会から学ぶことー多様性に込められた意味」
~内田青蔵氏~
□同潤会の設立
目的が変わっていく。
・第1期(T13~S4)「震火災に関し必要なる施設を為す」
①住宅建設
②不具廃疾(ふぐはいしつ) 収容所、授産場の経営
・第2期(S5~S13)「震火災関係地方の住宅施設並びにこれに伴う社会施設を為す」
・第3期(S10~S16)「支障なき範囲内においてその他の地方における住宅施設並びに之に伴う社会施設を為す」
□同潤会の位置づけ
・戦前期を代表する公営住宅供給組織
□同潤会以前の東京市の公的集合住宅
・震災前にもRC造があった。「古石場市営住宅」等。
□普通住宅
・付帯設備
・郊外では、厳しかった→家賃が安くても通勤の交通費がかかるため、経済的、生活のゆとりがないと罹災者には厳しい。
□アパート事業
・東京、横浜で15箇所。
・全てプランが違う。手作り。
・建物のみならず、生活に関する備品も備えた。
・「共用の部分は何が許され得るか」→共用の部分とは、すなわち階段と廊下。
・生活可能最低限住宅
□多様性
①多様な間取り
②独身者と家族世帯の混在
③共用施設の存在
■「同潤会アパートに見るRC集合住宅の計画~集合住宅計画の機能的側面に注目して~」
~大月敏雄氏~
□同潤会とは
・災害復興。
・次の時代のモデルへ。(ロンドン大火後のテラスハウス等)
□日本の戦後
・戦災復興で住宅しかつくらなかった。政府からの資金援助が全て「住宅」へされていた。
□戦前の復興住宅
・1911年吉原の大火後の復興住宅ですでに衣職住の復興住宅がつくられていた。日本初のハイブリッド住宅?
□都市の被災
・都市が被災したら、都市を復興しなければならない。住宅のみを復興するのではない。
□必要な支援
・公営+自立支援
□東日本大震災での対応
・復興住宅での支援。
□サ高住での事例
■質疑応答
□復興とは何か
・災害が起きると何かを変えなければならないが、平常時に動いているものの延長でしか、非常時には生かせない。
・新しいものを転向。新しい方向性と生活のしやすさのバランス。
・都市の雑多なものを受け入れる
□同潤会の多様性とは
・場所や管理状態によっても変わっている。
・若い設計者がこぞって学んでいた新しいデザインを投影した。→前よりいいものを。。。3年転職サイクルの間に。。。
・思い切りの潔さ。
□なぜ今同潤会ができないのか
・時代。
・戦後の安かろう悪かろう早かろう、縦割り行政の弊害。
【パンフレットより】
■植田実氏
・規格化と多様化
・設計計画の力と生活の表れ
・「集まって住む」ことは、地上最も貧しく、最も崇高な建築形式
・進化?退化?
・都市に住まうことの意味はまず集合住宅の中に。
・理論よりどっ球面とに読み取りたい生きたモデル。
■内田青蔵氏
・多様な住棟計画や住戸の間取りの提示を通し、人々に自らの住まいと生活について考えることを求めた。
・与えられるものではなく、「どのような生活を求めるのか」と自ら思考する自由とその実現性に近代の住まいのあり方をみる。
・人々の住まいへの飽くなき興味こそ、住文化を発展させる力となることを伝えている。
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