迎賓館
迎賓館赤坂離宮を参観させていただきました。
一般参観があるとお聞きし、早速申込み。
幸いにも抽選にあたり、
今回参観させていただくこととなりました。
四ツ谷駅からアプローチ。
見えてきました。
停車するハトバス。
見学コースになっているのですね。
正門越しの迎賓館赤坂離宮は、
格調高く、手が届かない存在。
警備も厳しいですね。
残暑厳しいですね。
西門から。
迎賓館赤坂離宮。
かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった広大な敷地の一部に、明治42(1909)年に東宮御所(後に赤坂離宮)として建設されたもの。
鉄骨造強煉瓦造り、地上2階地下1階の耐震、耐火構造。
ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家、片山東熊氏の総指揮の下、当時の一時建築家や美術工芸家が総力を挙げて建設した、日本における唯一のネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築。
昭和天皇や今上天皇が一時期お住まいになった以外、東宮御所としてあまり使用されることなく、戦後、建物、敷地共に皇室から行政へ移管され、国立国会図書館(1948-61)、内閣法制局(1948-60)、東京オリンピック組織委員会(1961-65)などの公的機関に使用されていたそうです。
国立国会図書館の時には、一般人でも中に入ることができたのですね。
この間、日本は国際社会へ復帰し、国際関係が緊密化し、外国の賓客を迎えることが多くなったため、国の迎賓施設をつくる方針がたてられ、これに伴い建設地や施設内容等の検討を行った結果、昭和42(1967)年に「旧赤坂離宮」を改修してこれに充てることに。
改修工事は昭和43年から5年有余の歳月と総額108億円の経費をかけて行われ、賓客に対し和風の接遇を行うための別館の新設と合わせて、昭和49(1974)年に現在の迎賓館が完成。
本館は、村野藤吾氏、和風別館は谷口吉郎氏の設計協力。
開館以来、世界各国の国王、大統領、首相などの国賓、公賓がこの迎賓館に宿泊し、歓迎行事を始めとし、政財学界要人との会談、レセプションでの懇談など、華々しい外交活動の舞台となっているそうです。また、先進国首脳会議(1979、1986、1993)、日本・東南アジア諸国連合特別首脳会議(2003)などの重要な国際会議の会場とも使用されているそうです。
関東大震災や、戦争にも耐えて、今日に至ります。
平成18年から3年間、大規模な改修工事を行い、平成21(2009)年4月から迎賓施設としての運用を再開。同年12月、創建当時の建造物である旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)本館、正門、主庭噴水池等が国宝に指定されたそうです。
明治以降の文化財としては初の国宝だそうです。
正門、中門、前庭、本館、主庭、へと
シンメトリーに配されています。
北側は広い前庭に向かって翼を広げたような形。
先程の正門が見えます。
松が印象的。
日本が独自の文化を守りながらの西洋化と、富国強兵に突き進んでいた時代を象徴して、天皇を「武勲の者」という印象を表現するために、正面玄関の屋根飾りや内装の模様などに鎧武者の意匠とされたそうです。
建物全体に西洋の宮殿建築に日本風の意匠が混じった装飾。
こちらから中へ。
「彩鸞の間」「花鳥の間」「中央階段・2階大ホール」「朝日の間」「羽衣の間」と見せていただきました。
お部屋ごとの見事な意匠は、現在も使われていることもあり、鮮明に輝いていました。
また、設備についても、意匠に取り組んだ吹き出し口を用いるなど、工夫されていました。
電気が珍しかった当時ですが、イギリス製の自家発電装置を備え付けて照明に電気を使い、アメリカ製の自動温度調節機能付き暖房装置が設置されていたそうです。
南側の正庭へ。
北側玄関の厳つい外観とは対照的に、やわらかい印象。
噴水。
背景に高層ビル。
現在は、景観を守る動きになっていますね。
噴水にはたくさんの動物たちが。
正庭から直接客室にアクセスすることができます。
数百年かけてつくられた盆栽。
お客様をお迎えする際には、ホールなどに置かれるそうです。
一周廻って前庭へ。
最初とは違う印象に見えました。
威厳高い佇まいをもちながらも、主張しすぎることなく、
西洋と日本の技術・芸術がやわらかく寄り添いながら、
日本らしい「おもてなし」の場となっているように感じました。
貴重な体験を、ありがとうございました。
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