愛でる
観潮楼址でパッパ鴎外に触れてきました☆
生誕150年の森鴎外。
文京区では現在とても力を入れているようです。
その中でも、今年11月1日にオープンしたのがこちら。
鴎外の住まいであった観潮楼のあった地に
建てられた記念館です。
表通りに対しては、閉鎖的な佇まい。
藪下通り側入口。
「観潮楼址」の碑。
佐佐木信綱氏による文字。
1950年、森鴎外遺跡として東京都指定史跡の認定を受けているそうです。
観潮楼門柱跡の敷石。
庭園通路にある、詩碑「沙羅の木」。
1954年、兄弟を代表して、長男於菟(otto)氏から文京区へ寄贈。
詩碑は野田宇太郎氏の発案で、作家の永井荷風氏に書を依頼し、
建築家、谷口吉郎氏の設計協力を得て制作されたそうです。
「三人冗語の石」の横にある大イチョウ。
5m程もある大きな扉を抜けて。。。
正面で迎えてくれるのは、鴎外の浮彫像。
1962年、文京区立鴎外記念本郷図書館の鴎外記念室開室に際し、
詩人の佐藤春夫氏、建築家の谷口吉郎氏、詩人の野田宇太郎氏の三者が発案し、
彫刻家の高田博厚氏に依頼して制作されたものだそうです。
1階エントランス入って左を臨むと、
右奥にカフェ、中央に3階図書室・講義室へあがる階段、
左に地下展示室へ降りる階段。
1階カフェ。
写真左側に、大イチョウのある中庭を臨めます。
階段を降りて展示室へ。
展示室では、開館記念特別展
「150年目の鴎外」が開催されていました。
■第一章 森鴎外
幼いころ~上京、東大時代~陸軍軍医へ~ドイツ留学~帰国後の活躍~観潮楼~小倉赴任~軍医総監~盛んな創作活動~退官~終焉
軍医として活躍する一方で様々な創作活動。
外的原因で、不条理なことが起きても、
常にポジティブな活動、意思が見受けられます。
「汝の血を冷(ひやや)かにせよ、汝の血を冷かにせよ、何れの場合なるを問はず、
怒(いかり)は人を服する所以にあらざればなり」
(「智恵袋」)
■第二章 観潮楼の日々
観潮楼~観潮楼歌会~文学活動
歌会には、北原白秋、齋藤茂吉など、当時の歌壇代表者が集ったそうです。
1909年2月6日の歌会で、各自詠まれた歌が展示されていました。
鴎外が詠んだ歌がとても美しい。
「文机(ふづくえ)の 塵うちはらひ 紙のべて
物まだ書かぬ 白きを愛(め)でぬ」
■第三章 パッパ鴎外
パッパ鴎外~杏奴ゆかりの資料~歴史抜書~奈良からのはがき~鴎外関係新収品~兵食について~鴎外の日記
父としての鴎外はとても優しかったそうです。
子どもたちによるパッパ鴎外の記述がとても初々しく
本当に、愛し、愛されていたのだと、
見ているこちらもあたたかい気持ちになりました。
「観潮楼」
当時は、少し高台にあるこの地、団子坂から
遠く海が臨めたそうです。
現代に蘇ったこの地で、
鴎外に思いを馳せながら、
これからの日本を臨んでいきたいですね。
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