手
緊張感みなぎる「手」。
高村光太郎氏の作品に遭ってきました☆
60周年を迎えた東京国立近代美術館にて。
美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」。
1969年に谷口吉郎氏設計により開館。
移転後30年を経過し、設備の面で社会の要請に応える上での不備も生じてきたことから、
平成11(1999)年7月から約2年半、館を閉じて、
坂倉建築研究所の設計により、大規模な増改築工事を施したそうです。
アプローチに設えられた「夏の家」。
スタジオ・ムンバイによる日本初の建築プロジェクトだそうです。
近くに寄った折に立ち寄ったため、閉館1時間前になってしまい
すっかり駆け足となってしまいました。
チケット売り場で
「かなりボリュームがありますが、大丈夫ですか?」
と聞かれ、
「大丈夫です!」と豪語した自分に後悔。。。(ーー;)
13点の重要文化財を初め、迫力の作品とその展示。
少ない時間ながらも、強烈な印象を残してくれました。
館内は写真撮影可(特記無き限り)だったのですが、
作品を目の前にすると、シャッターを切るのが申し訳なく
目に焼き付けてきました。
特に印象的だったのが、こちら。
(以下の写真はすべて、展覧会図録より。敬称略。)
横山大観「生々流転」。
絹本墨画・画巻。55.3×4070.0cm。重要文化財。
何と全長40m!
歩いても歩いても、墨画が続きます。
自然とその景色が変わっていく。。。
「生々流転」とは、万物が常に生死を繰り返し、
移り変わってゆくことを意味するそうです。
描かれているのは、水の変転。
そして、当然ながら人の一生をも象徴しているとのこと。
息を飲む美しさ。
徳岡神泉「刈田」。
少しずつ異なった形で列をなす稲の株。
それらが水面に落とす影。
抽象的な表現ながら、その心象が伝わってくるようです。
東山魁夷「秋翳(しゅうえい)」。
実際の山を参考に描かれたそうですが、
燃えるような、そして可憐な赤。
展示では、戦時中の作品も数々展示されていました。
その描写を前にすると、目を背けたくなる自分と、
目をそらしてはならないという自分との葛藤が生まれます。
北脇昇「クオ・ヴァディス」。
ラテン語で「何処へ行く」という意味だそうです。
左の先には赤旗を掲げる人々の行列。
それを眺める後ろ姿。
戦中、戦後の複雑な心の屈折。
やわらかい表現なだけに、一層切なくなります。
岡本太郎「夜明け」。
原色の乱舞に、エネルギーを感じます。
高松次郎「影」。
250×300cmの大きな作品。
赤ちゃんがそこにはいるはず。
いるはずなのに、振り返っても誰もいない。
いるのは、自分だけ。。。
第二部の「実験場」では、映像作品を初め、数々の刺激的な作品が。
イサム・ノグチ「かぶと」「ひまわり」。
家具も展示されていました。
猪熊弥一郎「スツール」「真鍮網による椅子」
高村光太郎「手」。
緊張感みなぎる造形。
この手を真似てみようとしたのですが、
これがなかなかできない。
人差し指と中指でピンと 天を指す。
集中しないとできないカタチです。
とても駆け足でしたが、
100年の日本の近代美術は、とても刺激的で、
その時代、時代で、みな懸命で、
現代に生きる私たちも、懸命に生きなくては、と
改めて思いました。
来年の1月14日まで開催されているそうです。
また落ち着いてゆっくり伺えたら、と思います。
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