未来
鉄腕アトムに逢ってきました☆
「地上最大の手塚治虫」展
世田谷文学館にて。
せせらぎが心地よい佇まいです。
鯉もゆったりと過ごしています。
アトムが迎えてくれます☆
会場は老若男女で賑わっていました。
手塚作品、知らない人はいないですよね~☆みんな大好きです!
改めて、手塚氏の驚異的な仕事を目の当たりにしました。
医学を修めながらも、昭和21(1946)年にデビューして以降、
平成元(1989)年、60歳で亡くなるまでの間、ひたすらマンガを描き続け、
その数約700点。原稿枚数にして約15万枚!
スケジュールの抜粋も展示されていましたが、
毎日のように様々な連載作品の締切。
その合間に展覧会やポスター、アニメの監督など。
その中で、こんなにも魅力的な作品たちを
作り上げられるなんて!
信じられないパワーです。
『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『ブラック・ジャック』など、
おなじみの作品の原画も見ることができました。
印刷されたものとは違い、やはり原画には迫力がありますね。
キャラクターたちが生き生きと動き回っています。
自然と科学、生と死、愛と憎しみ、人間と宇宙、戦争と平和、など、
ありとあらゆるテーマが、
ありとあらゆる手法で表現されていたのですね。
1話完結型のストーリーも沢山原画で展示されていました。
特に楽しかったのは、「スター名鑑」!
手塚氏はキャラクターを劇団員と考え、
さまざまな作品に役柄を与え登場させていたのですね。。
自筆の「スター名鑑」をスライドショーで全ページ見ることができました。
まるで映画を見ているような感覚ですね~。
リボンの騎士のサファイアも、さまざまなストーリーに登場しています。
世界的に閉塞しがちな今日ですが、
手塚作品には、たくさんの希望が詰まっていそうです☆
またゆっくり読んでみたいと思います。
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世田谷文学館より概要
現代日本に生まれた私たちは、手塚治虫を知らないでいることの方が難しいのかもしれません。
たとえば夏目漱石の名前をほとんどの日本人が知っているのと同じように。
しかし私たちは、果たして本当に手塚作品を読んできたのでしょうか。
手塚治虫がその作品を伝えたいと信ずるに足る〈読者〉になっているのでしょうか。
「マンガの神様」とも呼ばれた手塚治虫に、〈読者〉はどう向きあうのか。
本展ではこの問いに挑みます。
☆
手塚治虫(本名:治 1928~1989)は、大阪府に生まれ、兵庫県宝塚市で育ちました。
昆虫採集に熱中し、母の影響で宝塚歌劇や音楽、文学にも親しんだ少年は、
得意な絵をいかしてマンガを描き始めます。
大阪大学附属医学専門学校に入学し医学を修めながらも、
昭和21(1946)年に「マアちゃんの日記帳」の連載でデビューして以降、
平成元(1989)年、60歳で亡くなるまでの間、ひたすらマンガを描き続けました。
『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『ブラック・ジャック』『火の鳥』……その数約700点。
原稿枚数にして約15万枚!手塚はマンガに、
く自然と科学〉〈生と死〉〈愛と憎しみ〉〈人間と宇宙〉〈戦争と平和〉など
ありとあらゆるテーマと、
ありとあらゆる手法で挑み続けました。手塚治虫というひとりのマンガ家が、
人生のすべてをかけた驚異的な仕事により、
私たちは現在、手塚マンガを読む喜びを手にすることができるのです。
☆
世田谷文学館は、手塚作品とはこれからの時代を生き抜く際に
手元に置くべき〈文学〉であると考えています。
人生の危機や困難に際したときに、いつもそばに寄り添い、
立ち返ることのできる拠り所のような文学=スタンダード文学として、本展ではぜひ、
手塚治虫の〈読者〉であることの喜びをあらためて体験していただきたいと願っています。
手塚治虫が、作品を受け継いでほしいと未来を託した〈読者〉たちの、
これからを生きる力につながるものになれば幸いです。
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