桂
「石元泰博写真展」
「1953年と1954年の二度の桂離宮体験が、
傑出した写真家にどのような作品を作らせたのか。。
そのなかに息づいている瑞々しい初発の輝きを、坂倉準三(1901-1969)が、
石元氏の「来日」する以前の1951年に達成した
モダニズムの精華ともいうべき神奈川県立近代美術館の空間のなかで
検証してみたい。
(神奈川県立近代美術館館長 水沢 勉氏)」
桂離宮の見方を決定づけたとも言われている、
大胆かつ緻密な構図によって捉えられたその作品群。
坂倉氏の建築。
桂離宮という日本建築の美しさと写真というメディアの融合、
石元氏の根源的で堅牢な造形感覚。
ひとつひとつの写真は、光と影の重なりによって作られていて、
見れば見るほど惹きこまれていきます。
光のもとに近寄りたくなります。
そして、多様な諧調、濃淡や軽重、明暗や硬軟といった起伏に気づき、
一層離れられなくなります。
現実には存在していなかったに等しいものたちが、
生き生きと呼吸し、芯材の喜びを吐露しています。
それは、
彼が、直感的、体感的に看取し、それらを驚くほど丹念に
ひとつひとつを拾い上げて、磨き込み、写真という場に包摂してきたから。
彼によって写された「桂離宮」は、印画紙の中で浮かび上がり、
むしろ見えざる本質を見せてくれているよう。
写された本質を確かめに、
「桂離宮」にも訪れてみたいと思います。
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~神奈川県立近代美術館 主任学芸員 是枝 開氏による図録の解説抜粋。~
「戦後まもない1950年代初頭という時点にして、
すでにモダニズムの至極の境地を明らかにしている。
不純なものいっさいを捨象して、形態とモノクロームの諧調のみに切り詰められた、
自立する作品群である。
とはいえ、極端な還元主義がもたらす単一性や一様性とは、およそ異なる相貌を備えてもいる。
それは何故か。
石元の眼が、その肉眼が、ありとあらゆる造形要素を丹念に編み上げて、
空間の構造そのものを作っているからである。」
「石元の写真を見る時、人はいつも複数のもののあいだにいる。
形と形、動きと動き、あるいは、写真にうつる物質とわれわれ自身のあいだである。
それらは厳密には区別され得ない。
シンプルな構造でありながら、複数の要素が多層的な空間において相互に浸透しあっているのである。」
「石元は、カメラという装置を介在させることにより、
この可変的な視覚の様態を、いったん切断する。
そして一瞬の光の集積を多方向から解析し、写真の力によって再構築している。
一瞬の光とはいえ、その「いま・ここ」を資格的に現前させている自然光の場合は、
解析しつくせぬほどさまざまな出来事を発生させている。
事物の表面にあって激しく反射する光、そこで曖昧なまま漂う光、
その深部へと吸収されてゆく光・・・・
実に多様な光の運動を、石元は妥協を許さない厳格さで
丹念に写真という言語に変換しているのである。」
「カラーはあからさまに出ちゃうでしょ。
人間は想像力を持っているからモノクロームのほうが、
かえって色を感じたりするし、深みがある・・・。
そう石元が言うように、たしかにモノクロームという色彩の連なりには、
わたしたち人間の知覚やイメージを拡張させる力がある。」
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